プロフィール

プロフィール
初めまして!
さっしーと申します。
こんなブログをご覧いただきありがとうございます。
ほんの少しでも誰かの役に立てればと思い、このブログを立ち上げました。
まず、僕の生い立ちを書いていきます。
1981年、神奈川県生まれ。四十路がぼんやりと見えて来ております。
父、母、妹、弟、母方の祖父母という7人家族。自分で言うのも何ですが、幼少期はまぁまぁ裕福でした。
と言うのも、父は工場勤務の会社員でしたが、祖父母がバリバリの自営業。おもちゃ屋、葬儀屋、大家さんというまさに複業!!
僕は祖父母、特に大のおじいちゃん子で、大変可愛がられてました。
そんな家でしたので、子供ながらに祖父母と父の背中を比較していて、
  • 自分で仕事をすると自由なんだ!
  • しかもお金持ちになれるんだ!
  • 子供や孫には全力で与えられるんだ!!
  • 会社員は帰りが遅いし、自由に休めなさそうだし、欲しいものも買えなそう。。。

というとても残酷な結論を出し、その影響で今の自分が作られたと感じています。

幼少期~中学生時代

この頃が僕の人生の中での幸福度数がピークですね。
欲しい物は本当に何でも買ってもらってました。ファミコン、おもちゃ、天体望遠鏡などなど…。
ファミコンソフトは100本以上は余裕でありました。
ハードもだいたいありましたね。PCエンジンとかも。
天体望遠鏡は、ある日突然祖父が購入してきて。
見えないものを見せようとしたのかな。
でもとてもじゃないけど担げそうにないほどの大きな望遠鏡でした。
数回しか使っておりませんが。
食べるものや習い事やなんかも本当に何でも与えられてました。
「サッカーやりたい!」
と言い出したくせに、一回で辞めたり爆
詳しくはこちら
小学校は徒歩30分ととても遠かったので車通学の常連。他の子は歩いてますけどね。まー、クソ生意気だったと思います。
中学は電車で1時間ほどの都内の私立へ。そのままエスカレーター式に大学まで行ける付属中学でした。ちょっとしたいじめも受けたりもしました。

高校~大卒フリーター

高校時代、学校帰りは毎日のようにカラオケ→夕飯→麻雀の流れ。
週の半分以上を友達の家に泊めてもらったりと本当にどうしようもない生活でした。
今思うと、中学の時に祖父が亡くなったせいもあるかも知れません。
生きていればバチっと叱ってくれたことでしょう。
また、高1の時に初めて海外にも行かせてもらいました。
高校のカリキュラムでカリフォルニアに1ヶ月ホームステイという長期滞在。
これが本当に楽しくて、今でも思い出しますし、自分も子供に行かせてやりたいなと思っています。
今も心の隅にある海外で生活してみたい願望もこの経験が基になっています。
大学は、「10年も同じ校舎に通いたくない!」というよくわからない理由で受験を決意。
しかし、途中で挫折し推薦受験に切り替え、何とか合格。
本当に根性が無いんです、子供の頃から。
習い事もどれも中途半端でしたし。
そんな人間が大学で一念発起!!
する訳もなく、お決まりのダメ大学生の暮らしに。
単位はしっかりと管理していたので卒業は出来ましたが、「やりたい事を見つけてから就職しよう!!」とまたよく分からない、よくありがちな事を言い出し、就活もしませんでした。
大学を卒業し、飲食店でアルバイトをしていたある日、友人から連絡が来ました。
「暇でしょ?一緒に日本語教師にならない?」
「へ?日本語…?国語じゃなくて?」
と、大混乱。
そう、外国の方に日本語を教える先生にならないかと。
しかも外国語スキル不要!など言葉巧みに乗せられまして。
ま、暇だし誰かに教えるということも好きなので、何だか楽しそうだなと思い、一緒にスクールに通うことにしました。
そして、全ての過程を修了し、晴れて資格をゲット!!
その勢いで非常勤ではありますが採用も決まり、先生としての道を歩むことに。しかしここからが苦難の始まりでした…。

掛け持ちという名の複業…

ズバリ、薄給。週に3日授業を持たせて貰っても月7万円程度。
しかも授業に使う教材を作ったり、調べたり、テストの添削をしたりする時間の給料は0!!とてもとても年頃の男子が生きていけるような給料ではありません。
ですので、男性が本当に少ない世界で、僕は”若い男子”というだけでとても重宝がられ、学校の事務のバイトもやらせてもらったり最大限に気に掛けてくれていたような気がします。
そして夜は知り合いの居酒屋でバイトもするという初めての複業生活を送りました。
深夜に帰宅し次の日の授業の準備、そのまま徹夜で出勤なんて日常茶飯事でした。
エナジードリンクが欠かせない毎日。
飲み過ぎて、最終的には翼も授かれなくなっていました。
学校のトイレやコピー待ちの時間に眠ってしまうことも多々ありました。

暗黒期からの脱却、そして

結局1年ちょっとで退職を決意。
中国の学校への赴任も打診されましたが、お断りをし、ただのフリーター生活に逆戻り。
そこから堕落した生活がスタート。
毎日のようにパチンコ屋に入り浸り、ただただ時間を浪費する生活…。
部屋で一人になると、「このままじゃダメだ…。俺クズだな…。生きてていいのかな…。」と自分を責めていました。
自責しすぎたのか、すごい量の脂汗と胸の苦しさで目を覚ましたり、眠れない日もありました。
もう本当にダメになるなと思い、病院に行こうかなと悩み始めた時、幼馴染から連絡が来ました。
「暇でしょ?お願いがあるんだけど。うちで働いてくれない?」
彼は家族経営で会社を営んでいて、その支店に現在店長が居ない。
しかも今すぐにそのポストに人を置かなくてはいけなくなった。
しかし、会社に適任者が居ない…。そこで、君だ!と。
僕は対して考えもせず、「いいよー。」と軽く返事をし、急転直下に就職が決まりました。
縁故採用。
いきなり店長。
未経験なのに店長。
それからはバタバタと遅めの新社会人生活に。
驚いたのは初任給。
普通の初任給と同じくらいだと思いますが、仕事3つ掛け持ちしていた頃よりも多いではないですか!!
しかも睡眠も出来るし、遊びにも行ける。
会社員最高かよ!と思いました。
そして、乗ってる時には色々なことが好転するようで、現在の妻とも交際がスタート。
出会いは高校時代のバイト先。
実は僕は、妻を初めて見た時に「あ、この人と結婚するな。」と感じました。
これ、本当です!
こういうこと本当にあるんですね。
交際から2年弱で結婚。
幸運なことに2人の子供にも恵まれ、順風満帆な生活。
しかし、10年が経った2018年、当然こう告げられます。
「店長職から外す。」
降格人事です。
理由は、隠されているようでよく分かりませんでした。
今も分かっていません。
縁故だから、友達だから隠されてるのかなと感じています。
売り上げはしっかり取れていました。
全てを器用に上手に出来ていたか?
と言われればそうではなかったかも知れませんが、職を追われるような何か重大な問題を起こしたなどは全く思い当たりませんでした。
降格、すなわち減給です。
僕の場合は給与の約2割に当たるおよそ10万円の減給。
年収にしたら120万。
調べると、法律上減らしても良しとされている割合もあるそうですが、それを超えていましたので、僕を辞めさせたいのかな?とも思いました。
転職も考えましたが、今の給料を最初からもらえるような再就職先は思いつかず、家族を路頭に迷わせるわけにはいかないので降格して勤務を継続することにしました。
しかし、強く芽生えた思いがあります。
それは、「会社に依存していてはダメだ。もっとお金の入り口を増やして、いつかこちらから会社は卒業しよう。」と。

現在とこれから

異動により工場勤務になった僕は始発で出勤。
終業も早いので、幸いなことに時間は取れるようになり、インターネットを使っての複業の勉強を始めました。
妻は率先して深夜のパートを始めました。
ある日、妻を見送った娘がポツリと、
「どうして、ママは働かないといけないの?」
と言って、大粒の涙をこぼしました。
僕のせいでそんな悲しい思いをさせて本当に胸が痛みます。
いつか、複業で稼いで何倍にもして返してあげたいです。
そして、僕の一番の目標。
それは、複業完全後発組の僕が道を作って、僕のように苦しんでいる会社勤めの方やその家族の方々に僕を見てもらって複業を始めたり、何かを変えるようなきっかけになること。
そうなれるように、少しづつ進んでいこうと思います。
それから一年。
仕事は辞めずに続けてます。
出来たことといえば、生活費を抑えることくらいかな。
詳しくはこちらに書きました。
また長いですけど、良かったらご一読を。

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